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第5話 秘密のカフェで、二人きり

Author: 月歌
last update Last Updated: 2025-12-05 19:01:58

十一月になり、街はすっかり冬の装いになった。

蓮くんとのDMは相変わらず続いていて、もはや日常の一部になっていた。

そんなある日。

画面に通知が表示された。

蓮くんからのメッセージ。

『突然なんですが、今週末、お時間ありますか?』

仕事中だったけれど、思わず声が出そうになった。

周りを見回して、誰も見ていないことを確認してから返信を打ち込む。

『はい、大丈夫です』

送信。

すぐに返事が届く。

『少し、直接お話ししたくて。もしよければ……会えませんか?』

画面を二度見した。

会う?

蓮くんと、二人で?

文字を打ち込む。

『ご迷惑でなければ、ぜひ』

送信してから、手が震え始めた。

これは、何?

デート?

いや、違う。きっと、ただの……なんだろう。

メッセージが届く。

『ありがとうございます。詳細は後ほど送ります。人目につかない場所がいいので』

人目につかない場所。

そうだよね。蓮くんは有名人だから、普通にカフェとかには行けない。

当日。

指定された場所は、都内の閑静な住宅街にある小さなカフェだった。

個室完備、予約制。芸能関係者がよく使う店らしい。

「こんにちは」

店の奥の個室に案内されると、そこに蓮くんがいた。

黒いパーカーに、キャップ。マスクをしている。

「来てくれてありがとうございます」

マスクを外した蓮くん。

テレビで見るより、ずっと近い。

「い、いえ……お忙しい中、お誘いいただいて」

緊張で声が震える。

「座ってください」

促されて、向かい側の席に座る。

テーブルを挟んで、蓮くんと二人きり。

これは夢だろうか。

「あの、その……今日は……」

「ごめんなさい、急に呼び出して」

蓮くんが申し訳なさそうに笑う。

「でも、どうしても直接お礼が言いたくて」

「お礼……ですか?」

「はい。この一ヶ月、いつも話を聞いてくれて。本当に助かってました」

蓮くんの表情は、いつもイベントで見る笑顔とは違った。

もっと柔らかくて、素の顔。

「僕、実は……結構しんどかったんです。仕事も、人間関係も」

注文したコーヒーが運ばれてくる。

店員さんが去ってから、蓮くんは続けた。

「SNSで叩かれることも増えて。演技が下手だとか、調子乗ってるとか」

「そんなこと……」

「慣れてるつもりだったんですけど、やっぱりきついんですよね」

蓮くんが苦笑する。

「でも、あなたとのDMが……すごく心の支えでした」

胸が熱くなる。

「だから、ちゃんとお礼が言いたくて」

蓮くんが鞄から、何かを取り出した。

「それと……これ、お返しします」

テーブルに置かれたもの。

瑠璃色のペン。

とんぼ玉が埋め込まれた、私のペン。

「あ……」

「ずっと返したくて。大切なものですよね?」

蓮くんが優しく微笑む。

「はい……ありがとうございます、柊木さん」

ペンを手に取る。

康太がくれた、大切なペン。

「とんぼ玉、本当に綺麗ですね。どこで買ったんですか?」

「これは……幼馴染がくれたんです」

蓮くんの手が、一瞬止まった。

「幼馴染……」

視線が、ペンから私の顔に戻る。

「女性の、方ですか?」

え?

なんで、そんなことを?

「いえ、男性です」

答えた瞬間、蓮くんが少しだけ視線を逸らした。

「そうなんですね……」

コーヒーカップを手に取る蓮くんの動きが、ほんの少しぎこちない。

「大切な、ものなんですね」

声のトーンが、ほんの少し変わった気がした。

「あの、幼馴染というか……昔からの友達で……」

「ああ、いえ。素敵なペンだなと思って」

蓮くんが微笑む。

でも、さっきまでの笑顔と、何かが違う。

少しだけ、距離ができたような。

「あの……柊木さん」

「蓮、と呼んでほしいです。柊木さんだと、なんか距離がある気がして」

え?

「で、でも……」

「ダメですか?」

真っ直ぐに見つめられて、心臓が止まりそうになる。

「……蓮、くん」

「はい」

蓮くんが微笑む。

今度は、さっきまでの笑顔が戻っていた。

柔らかくて、優しい笑顔。

「そう呼んでもらえると、嬉しいです」

それから、空気が変わった。

さっきまでのぎこちなさが消えて、また和やかな雰囲気に戻る。

「そういえば、最近どうですか?仕事は」

蓮くんが話題を変える。

「忙しいです。締め切りに追われてばかりで……」

「大変ですね。でも、あなたの話を聞いてると……なんか、普通の生活っていいなって思います」

「普通、ですか?」

「はい。僕、声優になってから、普通の生活とは縁遠くて」

蓮くんが少し寂しそうに笑う。

「同世代だと、みんな声優の話ばっかりで。業界の外の話って、新鮮なんです」

「そう……ですか」

「それに」

蓮くんが少し照れたように視線を逸らす。

「大人の女性って、憧れます」

ドクン。

今、なんて言った?

「落ち着いてて、優しくて。僕、実は年上の人が好きなんです」

え。

ええ?

「あ、変な意味じゃなくて!」

慌てる蓮くん。

「ただ、そういう雰囲気の人と話してると安心するというか……」

顔が赤くなってるのがわかる。

私も、きっと真っ赤だ。

「蓮くん、二十五歳でしたよね。私、三十一歳なんですけど……」

「年の差、気になりますか?」

蓮くんが真剣な顔で聞いてくる。

「い、いえ……」

「僕は全然気にならないです。むしろ……」

言葉を切って、蓮くんが視線を逸らす。

「むしろ、年上の方がいいというか……」

心臓がうるさい。

これは、どういう意味?

「……そろそろ時間が」

スマホを見ると、二時間も経っていた。

「本当ですか……もっと話していたかったな」

蓮くんが残念そうに呟く。

「あの、また……お時間があれば」

「はい。また、誘ってもいいですか?」

「ぜひ」

蓮くんが少し考えるように間を置いて、スマホを取り出した。

「あの……TwitterのDMだと、事務所に見られる可能性があるので……」

え?

「もしよければ、LINE交換してもらえませんか?」

蓮くんが、少し照れたように視線を逸らす。

「こっちの方が、気兼ねなく話せるかなって」

「は、はい!」

慌ててスマホを取り出す。

QRコードを表示して、蓮くんに読み取ってもらう。

『友だち追加されました』

通知が表示される。

画面を見ると、蓮くんのアイコン。

本名じゃなくて、ニックネームが表示されてる。

「これで、また連絡しますね」

蓮くんが微笑む。

会計を済ませて(蓮くんが全部払ってくれた)、店を出る。

夕暮れの住宅街。人通りはほとんどない。

「じゃあ、また」

「はい、また」

別れ際、蓮くんが立ち止まる。

「あの……」

「はい?」

「今日、すごく楽しかったです。ありがとうございました」

蓮くんの目が、優しく笑っている。

「こちらこそ」

そう言って、私は駅に向かって歩き出した。

十歩くらい歩いたところで、振り返る。

蓮くんは、まだそこに立っていた。

手を振ると、彼も振り返してくれた。

駅に着いて、スマホを見る。

LINEに通知。

蓮くんからだ。

『今日はありがとうございました。また、お話しできたら嬉しいです』

返信を打ち込む。

『こちらこそ、ありがとうございました。また、ぜひ』

送信してから、顔がにやけるのを抑えられなかった。

家に帰って、すぐに康太に電話をかけた。

呼び出し音が鳴って、繋がる。

「もしもし?」

電話越しに聞こえる、康太の声。

「康太、聞いて」

「どうした?」

「蓮くんと、会ってきた」

受話器の向こうで、三秒の沈黙の後、康太の声が跳ね上がった。

「……は?詳しく話せよ」

電話を耳に当てたまま、一時間かけて、今日のことを全部話した。

「それでね、最後に『また誘ってもいいですか』って……」

電話越しに、康太が溜息をついた。

「美月……それデートだろ」

「ち、違うよ。ただの、お礼というか……」

「現実見ろよ。完全にデートだって」

「でも……」

「で、LINE交換したって?」

「……うん」

電話越しに、康太が笑う声が聞こえた。

「お前、本当に鈍いな」

「え?」

「蓮くん、完全にお前のこと気になってるだろ」

「そんなわけ……」

「TwitterのDMじゃなくてLINE交換って時点で察しろよ」

電話越しに、康太の声が続く。

「で、お前は?蓮くんのこと、どう思ってんの?」

「…………」

言葉が出てこない。

「好きなんだろ?」

「…………うん」

初めて、声に出して認めた。

「好き。蓮くんのこと、推しとしてじゃなくて……一人の男性として、好き」

受話器の向こうで、康太が黙っている。

「美月、それ本人に伝える勇気あるのか?」

「ない」

即答だった。

「だって、私なんかが蓮くんを好きになるなんて……おこがましいよ」

電話越しに、康太の声。

「美月……」

「蓮くんは、きっと私のことを『話しやすいファン』くらいにしか思ってない。それを勘違いして、告白なんてしたら……」

「全部、壊れちゃう」

康太は少し黙っていた。

やがて、静かな声で言った。

「無理に言えとは言わねえよ。でも美月、後悔だけはすんなよ」

その言葉が、胸に沈んだ。

だって、わかってるから。

これは、叶わない恋だって。

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